闘魂スペシャル

80年代、それはまだプロレスがゴールデンタイムに放送されるほど人気を誇っていた時代でした。

学校では休み時間になるとプロレスごっこが始まり、ブリッジをしだすやつがいたり、教室の戸棚の上に登りブランチャーをやるやつがいたり。
アトミック・ドロップや4の字固めやコブラツイストくらいはできて当たり前。卍固めはちょいと難しかったけど。
体育の授業が始まる前の校庭の高飛び用マットの上ではブレーンバスターとバックドロップが炸裂する。そんな光景が当たり前でした。

プロレスは当時の子供たちの心を奪っていた最も人気のあるエンターテイメントのひとつだったのです。

いつの間にかラブコメ漫画ばかりになってしまった週刊少年サンデーでも当時はこんな漫画が連載されてました。

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7巻(BI砲)から13巻(ハルク・ホーガン)まで今でも持ってる俺。
少年漫画らしく、プロレスの厳しさの中にある友情とか師弟愛とか、血のにじむような特訓とかそんなのがあふれてます。

こんなシーンがありました・・

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日本プロレスを追われた猪木が新日本プロレスを創設したとき、日本プロレスの妨害にあい、人気外国人レスラーがまったく呼べません。
そんなとき、外国人レスラーの手配を頼んでいたカール・ゴッチから一本の電話。

ゴッチ:「外国人レスラーは、ほとんど参加できないよ。」
猪木 :「そんな・・」
ゴッチ:「でも、一人の大物レスラーが行くから新日の旗揚げ興行はうまくいく」
猪木 :「それは、誰ですか」
ゴッチ:「私だよ。それともカール・ゴッチは大物ではないかね」

あまりの感動に涙する猪木。
テレビ中継こそありませんでしたが、新日本プロレスの旗揚げは大成功に終わるのでした。

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ゴッチと猪木のすばらしい師弟愛。
ぼくはこれを呼んだときはほんとに単純に感動したんです。


でもね、後に発売された「アントニオ猪木自伝」を読むとですね、
ゴッチはこのとき法外な金を要求してきた、とかそんなことが、淡々と書かれてるわけですよ。

梶原一騎先生のすばらしい演出に純粋な当時の子供たちはいろいろと勘違いしてたわけですね。大人の事情なんてまるでわからなかったんです。

さらに年月が経過すると、新間が猪木ともめたり(プロレススーパースター列伝では新間はものすごいやり手のマネージャーで取材協力してる猪木もべた褒めでした)、梶原一騎が猪木を監禁したり、子供のころぼくたちがプロレスに抱いていた夢はことごとく裏切られてしまうわけです。

でもあのころのプロレス(特に猪木)は間違いなくぼくたちに夢と感動を与えてくれた。

深夜かケーブルテレビでしかプロレスが見れなくなって久しい。
K-1くらいしかゴールデンタイムには見れません。
プロレスもK-1もまったく興味がなくなってしまった自分は、なんであんなに熱に浮かされていたんだろうと不思議でなりません。

やっぱり猪木のカリスマというものに惹かれていたのかもしれません。
今でも猪木だけはぼくの中では別格なんです。

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