2017年07月31日

GUERRILLA

先日,初体験をしました。
ビアビアビアホールですよ。

ニューサンピア敦賀のビアホール&バーベキュー。
それなりにお酒を外で飲む機会は今まであったのですが,ビアホール(ビアガーデン)というものに僕は行ったことがなくてですね・・46歳にしてロストバージンしちゃったわけです。

で,ビアホールで真っ先に思いつく曲と言えばもうこれしかないでしょう。



WOO WOO Ah Ah 仕事が終われば
WOO WOO Ah Ah 決まりのコースさ
WOO WOO Ah Ah ビアビアビアホール!
WOO WOO Ah Ah 目当ては女さ
WOO WOO Ah Ah いるわけないのさ
WOO WOO Ah Ah 振り向く女は
WOO WOO Ah Ah 会社の仲間さ
さめざめWOO WOO WOO WOO WOO

サラリーマンに対するアンチテーゼを歌った曲だそうですが,かなりアレな曲でして(っていうかファーストアルバムの曲ってちょっとダサいんじゃないのかなって曲が多数ございまして・・・)。

s-DSC_0033.jpg

今回の飲み会は,ちょっと普段飲まないメンツでございまして。
歴史オタクの後輩と三国志で一番好きな武将は馬超だということで意気投合したり,別の後輩とガルパンで盛り上がったりとなかなか新鮮な場でございました(会話の内容がオフ会みたいじゃねえかよww)。

s-DSC_0035.jpg

s-DSC_0036.jpg

s-DSC_0037.jpg

ひさしぶりにけっこう飲みました。肉もたくさん食べました。いやまあ,いろんな人といろんなお話をして,街に繰り出す仲間たちを見送り,僕はおとなしく帰ったのです。

毎日,節制に次ぐ節制を繰り返しているワタクシもこの日ばかりは無礼講。「大丈夫なんですか?」とみなに聞かれるわけですが,いやまあそのうアレですよ。やっぱね〜,外で飲むと暑いからドリンクが進んじゃうんですよね。それでも生中3杯くらいにセーブ。

でも,翌日のトイレではひさしぶりのびりびりうんちに出会いました。最近僕のOPPは恥ずかしがり屋さんになっちゃったらしくなかなか顔を見せてくれないのです。やっぱ食事も睡眠も規則正しい生活をしてるからなのかもね。

あ,ちなみに新宿ロフトのBOφWYのライブ映像。当時ぼくはいくつかのルートからこのビデオを入手したのですが,どれもがダビングにダビングを重ねたものでございまして,すげえ画質が悪かったのですがyoutubeの画質も僕が持ってたやつよりはマシだけどやっぱアレですね。オリジナルもあんな感じだったのかもね・・・



posted by poptrip at 20:20 | Comment(8) | TrackBack(0) | 80年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

ボンバーマン

僕はゲームっ子だった。

僕の少年時代はゲームとともにあったと言っても過言ではない。

といってもうちの親は僕にほとんどゲームを買ってくれなかった。それほど貧しかったとは思わないのだが,グリーンスタンプを集めて手に入れたゲーム&ウォッチのヘルメットというゲーム機くらいしか持っていなかったと思う。僕が欲しいと言わなかったのかもしれないがとにかく僕は当時のほとんどの少年,青年が一度は所有したであろうファミコンもスーファミ(1990年発売)も持っていなかったのだ。

game.jpg

持つべきものは友人。
とある会社の社長の息子(Tくん)と僕は幼馴染み。御多分に漏れずお坊ちゃまであるTくんは常に最先端のゲーム機を所有していた。彼の日立ベーシックマスターJrで遊んだアルペンスキーが僕のコンピュータゲームの原体験である。

1970年 poptrip生誕
1980年 任天堂ゲーム&ウオッチ発売(Tくんはほとんどすべてを所有)
     遠足にゲーム&ウォッチは持ってきてはいけないとのお達しありw
1981年 日立ベーシックマスターJr発売
1983年 任天堂ファミリーコンピュータ発売(発売直後にTくんが購入)
1983年 NEC PC-6001mkUおよびPC-8801mkU発売
     仲のいい友人が6001mkUを所有。
     ロードランナー,倉庫番,チョップリフター等にハマる
1984年 SHARP X1turbo発売(僕が初めて所有したコンピュータ)
     信長の野望,三国志にハマる


ちょうどTくんの家は学校と僕の自宅との間にあり,また僕は鍵っ子だったのでほとんど毎日のようにTくんの家に寄ってゲームをしてから家に帰るという楽しい課外授業を体験しておったわけです(ちなみにTくんはかなりの漫画コレクターでもあり,当時の人気漫画のほとんどを彼の家で読むことができたのです。サンデーとジャンプは毎週買ってたしね)。
マジでTくんの家は天国だったよ。今思えば彼の家が今で言う漫画喫茶の走りではないかと(笑)

小学校低学年のときにTくんと学校帰りにアゼリヤに行ったのがバレて怒られたのは懐かしい想い出。Tくんは文明堂でツケがきいた(社長のムスコだもん)し,僕の母親が働いていた会社も文明堂と取引があった関係で母親の会社名と苗字を言えば僕もツケがきいたんです!そしてアゼリヤには文明堂がある。行っちゃうのは必然でしょう。

Tくんとは,福井市内にあった視力回復センターとかいう今考えるとなかなか怪しいところにも一緒に通ってました(笑)
そのおかげで僕は福鉄バスや福鉄電車に小さいころから慣れていて,旅行好きになったのもそういう子供時代を送っていたからかもしれません。

このような恵まれた少年時代(←そうか?)を送った僕は,当時のゲームとマンガのことについては正直いくらでも語れるのですが(Tくんにはお姉ちゃんがいたので少女漫画にも僕は造詣が深いww),今回の主題はファミコンのゲーム「ボンバーマン」なのです。



これね。
なぜ,ボンバーマンなのか。

って話なんですけど

ほら僕,SKKSになっちゃったじゃない。
そうするともれなくダイナマイトの原料を持たされちゃうわけです。

ニトロですよ,ニトロ。

s-IMG_8613.jpg

s-IMG_8614.jpg

まさに今の俺はボンバーマン!

俺に惚れると火傷するぜ,いや爆発するぜ!が僕の決め台詞となったのです(ウソ)

※狭心症に使われるニトロは,昔は本当の「ニトログリセリン」を使いましたが、今はニトロ基を持つ別の薬品を使用しており,爆発はしません(Yahoo!知恵袋による)

Tくんは,大学を卒業したのち見事に任天堂に就職を果たしました。

大学時代や就職してしばらくはGWや年末に帰省するとTくんとも必ず会ってマージャンなんかをしていたんですが,僕が結婚してからは疎遠となり今は年賀状をやりとりするだけの仲に・・・

元気でやってるんだろうか。

僕はボンバーマンになっちゃったけどこの通りなんとか元気にやってます。

で,そのTくんが就職するときにもらったのがSEGAのMAGA DRIVEとスーファミとカセット(ソフトとはいわないよね〜ww)。僕は物を捨てられない性格なのでどこかに眠っているはずだと探してみたところ・・・

s-IMG_9096.jpg

MEGA DRIVEの本体はあったのだが,ソフトが1本も見つからない。

そしてスーファミは

s-IMG_9102.jpg

カセットとコントローラーは見つかったんだけど本体が見つからないという(笑)

過去記事を検索すると


2012年8月撮影

上記画像の通り2012年時点ではスーファミは僕の手元に間違いなくあった(可動品)。捨てた記憶はないのでどこかにあるはずなのだが・・・

【参考過去記事】スーパーファミコンなんかにゃ負けたくないぜ


そのうち,見つかるはずだ。
引っ越しの時かな・・ww


ファミコンと言えば,三国に「三国昭和倉庫館」という施設があり,そこではモノホンのファミコンで遊ぶことができたんですよね〜。ただ,5〜6年ほど前に火事で焼失してしまい・・・本当に残念です。

【参考過去記事】三国昭和倉庫館(2011年9月)


posted by poptrip at 18:00 | Comment(6) | TrackBack(0) | 80年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

10年ぶりの「てれてZIN ZIN」

まあぼくはモノマネ番組が大好きでして。
フジテレビ系と日テレ系どっちも見るわけなんですよ。

特に,フジ系の東野と今田が司会してるやつ・・あれはあのねのねが司会してた頃(まだコロッケやビジーフォーが出演できてたころ)から見て居ったわけでして。

そして先日も「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」見てたわけですけど

なななななんと・・・竹本孝之のモノマネなんかが出てきたわけでして。

s-IMG_1456.jpg

s-IMG_1457.jpg

曲はもちろん「てれてZIN ZIN」
実は2006年にてれてZIN ZINという記事(旧朝日町の「あさひまつり」にゲストで来ていたっていう内容)を書いておりまして。てれてZIN ZINについて何度も語っているブログってきょうびここくらいですよ。

s-IMG_1458.jpg

テレビに向かって「いまどき竹本孝之って!!」とツッコミかけてしまったんです(自分のことは棚に上げてw)。
ご本人には失礼ですが,竹本孝之を知ってる人ってかなり少数派だと思うんですよ。

s-IMG_1459.jpg

いや,彼ねすっげーイケメンなんですよ。
でもね・・・悲しいかな所属事務所がジャニーズじゃなかったってのが運の尽き。

s-IMG_1460.jpg

マッチに賞レースで勝てるはずもなく・・・

s-IMG_1462.jpg

陽あたり良好!ももちろん見てましたよ。日曜8時。竹本孝之と伊藤さやかっていうB級アイドルがヒーローとヒロインというなかなか挑戦的なドラマでした(笑)
ちなみにテロップには間違いがありまして「陽当たり」じゃなくて「陽あたり」が正解です!

IMG_1468.jpg
実家にあった漫画

Wikipediaによるとアニメ化もされているようです(タッチ!の後番組)がまったく記憶にございません。もうあのころは高校生だったからね・・・

ツボにはいったのは

ミラクルひかるの新田恵利!!

s-IMG_1473.jpg

爆笑しました。

過去にも何度かブログに書いていますが,僕はおニャン子にはまっちゃってて,その中でも新田の熱烈なファンだったんすよ。そして初めて買ったCDが新田のファーストアルバム「ERI」


新田ちゃんのサイン色紙(poptrip所蔵)

福井にライブに来たときに(もちろん見に行きました),親父がテレビ局で働いているという友人(そんなに仲がよかったわけでもないけど)に頼み込んでもらってきたものだと記憶しております。


コンサートチケット(poptrip所蔵)


このモノマネ番組では早見優とか相川七瀬とかがご本人として登場したんですが,新田本人が出てこなかったのがとても残念。まあああいうデフォルメされたモノマネでは本人は出にくいでしょうけど・・・ww

 
poptripのシングルレコードコレクションより

しかし,最近のモノマネ番組って80年代のネタが多いよね。もうテレビを見るのが40代以上しかいないからなんでしょうな(若い子はみんなネットだもんね)。


posted by poptrip at 21:30 | Comment(2) | TrackBack(0) | 80年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月07日

初代タイガーマスクが好きだった

今回も80年代ネタで。
ちょっと前の話ですが,エネーチケーのBSで「アナザーストーリーズ 運命の分岐点「タイガーマスク伝説〜覆面に秘めた葛藤〜」」という素晴らしい番組が放送されました。

僕は思いっきりタイガーマスク世代なんですよ。
といってもマンガやアニメのタイガーマスクじゃなくて新日本プロレスに所属していた本物のプロレスラー,初代タイガーマスクのことです。
たしか福井では新日本プロレスは金曜日か土曜日の夕方に放送していたような。全日本プロレスは日曜8時に放送してたような記憶もありますが僕は専ら新日に夢中になってたもんでして。
ダイナマイトキッド,ブラックタイガー,小林邦昭といったライバルたちがいたこともタイガーマスクの人気を支えていたことは間違いありません。

s-IMG_0972.jpg
大吉先生のこういうたとえに爆笑してしまいますw



少年サンデーコミックス「プロレススーパースター列伝」はもちろん持ってますよ。

s-IMG_0971.jpg

この漫画ではタイガーマスクの正体は佐山サトルだと明言はしていないものの,佐山サトルだとしたら佐山サトルとはこういうレスラーであるってのを描いてまして子供心に佐山サトルで間違いないやろ!と思ってたわけです。あの漫画の内容はすべて真実だと思ってたんですがのちにあれはフィクションもかなり含まれているということを知ってショックを受けたのは僕だけではなかったはずです。

s-tiger000.jpg

s-tiger001.jpg

s-tiger003.jpg

s-tiger004.jpg s-tiger002.jpg

漫画ではタイガーマスクはメキシコの虎の穴のような養成機関で上記のようなすさまじいトレーニングをしていたということになってるんですが・・・当時も半信半疑でしたがやっぱこんなのウソやったんやなあと・・安心したというか,騙されたというか。

さて,番組では佐山聡本人はもちろん,水道橋博士,新間寿,アントニオ猪木,藤原喜明,小林邦昭,ダイナマイト・キッドなどのインタビュー(前田日明はさすがに出てなかった)を交えながら伝説と化している初代タイガーマスクの軌跡を追うというものです。センテンススプリングなどとは違って天下のエネーチケーですから下世話な内容は全くなく,タイガーマスクの引退も総合格闘技をやりたいためだったということになっていました。

tiger2.jpg tiger3.jpg

tiger8.jpg tiger9.jpg

tiger7.jpg tiger12.jpg

tiger15.jpg tiger16.jpg

tiger17.jpg tiger11.jpg



この番組で一番驚いたのが現在のダイナマイトキッドです。

タイガーマスク引退後,キッドは2年後アメリカで活躍するがその翌年,選手生命が危ぶまれるような大怪我をしファイトを続けた結果,体は急速にむしばまれていったのです。

s-tiger20.jpg s-tiger005.jpg
全盛期(左)と1996年引退直前みちのくプロレスでの姿(右)

スタッフがイギリスでダイナマイトキッドを取材しようとしますが10年前から消息が不明になっていて,ようやくつかんだ情報では体調を崩しどこかの施設にはいっているらしいと。

そして一か月後にようやくキッドの奥さんと接触することができます。
「タイガーマスクのことを話すときはいつもうれしそうでした。今まで戦った中で最高のレスラーだった」
と奥さんに語っていたそうです。そして,今は脳卒中の後遺症で体をうまく動かすことができず施設にはいっていると・・・体には麻痺が残るが,タイガーマスクのことなら話したいと特別に取材を受け入れてくれたんだそうで。

s-tiger24.jpg s-tiger25.jpg

そして,スタッフが佐山聡からのビデオメッセージをキッドに見せます。

s-tigere28.jpg 

ハイ,トミー!
あれから35年がたちましたが,信じられますか?
未だにファンは俺たちのことを語ってくれています。また尊敬さえしてくれています。
トミーが一番強いのを俺は一番よく知っている。一番のハートを持っていることをよく知っている。


s-tiger26.jpg

途中で,マスクをかぶり

Do you remember?
Tommy, wake up! wake up!
Let's get fighting, talking
がんばれ。がんばれ,トミー


s-tiger27.jpg

それを見ていたキッドの目には光るものがあったように見えたのは僕の気のせいでしょうか・・・

いい番組作るじゃないか。エネーチケーも(こういうの地上波でやってくれないかなあ)。


posted by poptrip at 22:10 | Comment(8) | TrackBack(0) | 80年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

君は浜野省吾を知っているか

80年代ネタを。
以前開設していた「pop trip」っていうwebサイトでも紹介していたんですが・・・改めて加筆修正。

僕の実家には,まだ自分の部屋が残っており当時所蔵していたマンガなどが一部放置されたままたなっており訳ですが,こんなマンガがあります。

s-IMG_0989.jpg
ブラックエンジェルズ/平松伸二

1981年から1985年まで、『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載された。被害者から報酬を一切受け取らず、法で裁けぬ悪を殺すハードな内容。主人公・雪藤洋士をはじめブラックエンジェルは決して弱き人を見捨てず、暗殺するのは法で裁けない外道のみ、神父が定めた「死の掟」を厳守するという勧善懲悪のストーリーは最後まで守られていた。(wikipedeiaより)

「地獄へ堕ちろ〜」
「このくされ外道が〜」


なんていう名セリフに当時はしびれまくっていたわけです。

black.jpg

初期のブラックエンジェルズは,普段はダメ男の雪藤が現代版必殺仕事人という感じのマンガで基本的には法で裁けない極悪人(チンピラとか高利貸しとか)を人知れず殺してしまうというものなんですがちょっぴり異質のストーリーも。

ブラックエンジェルズ第5話「黒い衝撃」

そしてそこには浜田省吾ならぬ浜野省吾という旅するソングライターが登場するのです。

雪藤が好きになってしまった女の子をコンサートに誘います。

s-black9.jpg

浜野省吾コンサートに!

s-black10.jpg
1979年の浜田省吾コンサートのチケットがモチーフ

s-black12.jpg s-black13.jpg

s-black11.jpg


こ,これは・・・


s-umareta2.jpgs-umareta.jpg

これじゃないですか!
モロですよ,モロ。
これこそ外道じゃないですかw

s-black7.jpg

歌詞は一切出てこないので,どんな歌を歌っているのかはわからないのですが,集英公会堂はすごい盛り上がりです(笑)
上記画像はほんの一部を紹介しただけでこのコンサートに2ページ以上をついやしているわけでして。当時のハマショーのコンサートってこんな感じだったんですかね。

実は,この浜野省吾がとんでもない極悪人でファンの女の子を次々に食い物にしてシャブ漬けにしてしまっていることが分かり雪藤に「このくされ外道が〜」ってスポークで頭を刺され殺されてしまう・・・というのは大ウソですので。

このコンサートに誘った女の子が,実は暴力団のチンピラ達に暴行されたうえにシャブ漬けにされてしまい中毒になり,連続通り魔になっていたことが分かり,その女の子を殺すことになるという悲しい話なのです。ある意味被害者である極悪人ではない,好きになった女の子を殺さなくてはいけないという・・・(泣)

s-black14.jpg



80年代といえば,濱田金吾というミュージシャンも当時存在していまして,ハマダと言えばキンゴで〜す」という衝撃的なキャッチフレーズで売り込みをかけていたわけですが。当時,僕らの間では笑いのネタとなっておりました。中学生ですからね,濱田金吾を略すと「ハマキン」ですからね。当時のオバカな子供たちは「金」とかっていう言葉だけでなんか笑えたみたいなところがありましてですね・・・お恥ずかしい限り。そして金吾さんにはこの場をかりて謝りたいと。ええ,曲も聞かずにバカにしてたんですからね(まあ今でも彼の曲を聞いたことはないのですが・・)


posted by poptrip at 21:30 | Comment(6) | TrackBack(0) | 80年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする