このように淡々とブログを書いていて,大騒ぎをしていないのには理由がある。
実は僕は単身赴任用にWindowsのノートパソコンも所有しており,自宅を往復するたびにこのノートPCもいっしょに持ち歩いているためここ数年はMacに触る回数も激減していたのである。
正直言ってiMacは写真と映像と音楽データ管理専用マシンと化していたといっても過言ではないのだ。
そんな状況を知っているヨメに「もう買い替える必要がないんじゃないの?」と冷たくあしらわれても返す言葉がない。まったくヨメの言うとおりだからだ。
大学時代,そして就職してからしばらくは僕の周りにはたくさんのマックユーザーがいた。分からないことがあったときに教えてくれる友人が何人もいた。それが次第にひとり減りふたり減り・・僕の周りから喫煙者がどんどん消えていったようにマックユーザーもどんどんと消えて行った。そして,ひとり残された僕も,ついに長年連れ添ったMacintoshとのお別れの時が来てしまったようだ。
僕とMacとの付き合いは大学時代に始まる。
大学4年生になると否が応でも研究室というところに配属され卒業研究というものをやらなくてはいけなくなるのだが,適当に選んで入った研究室の助手がMacオタクだったこともあり,その研究室のパソコンはほとんどすべてがApple社のMacintoshだったのだ。
1992年当時のMacintoshはとても高価なパソコンだった。
操作性とデザインは抜群でまた初めて使ったマウスというもののとりこになってしまった。信頼性という面では(今もぼくはあまり信頼していないがw)かなり怪しげであり,フロッピーディスクにバックアップした論文データが何度消えたことか。爆弾マークが出たりSad Macが出ることもしょっちゅう。
でも初めて見るスクリーンセイバーフライングトースターや熱帯魚を飼うソフトアクアゾーンにも驚いた。
日本語ソフトがほとんどなく(OSは漢字Talk7だったと記憶している),表計算ソフトも海外製のものだったが,その使用感は抜群で就職してから会社でWindows3.1とかいうOSの入ったパソコンを初めて使ったときにはそのイマイチなデザイン性と操作性に失望したものだ(ただ右クリックだけは好きだった)。
卒業論文のほとんどはSE/30およびMacintoshⅡciで書いたものだ。

名機 SE/30
就職して数年後に僕は結婚した。
1996年に社宅に住むことになるのをよい機会にとパソコンを買うことにした。ちょうどMacintoshを安く譲ってくれるという先輩がいたので僕はそれに飛びついた。
Performa6210というファミリー向け(といってもいいのかな)の機種である。僕がインターネットというものに初めて接続したのはこのパソコンだ。28.8kbpsでNifty-Serveによるダイヤル回線。ネットに接続すると電話が使えなくなるため使用時間も非常に限られていた。もちろん電話料金の問題もあったのですが。

Performa 6210(当時の林檎マークはカラーだった)
デスクトップをカスタマイズしたりするのがもう楽しくてたまらなくて雑誌もいろいろと買いまくっていた時期です。Mac専門誌も五つ六つはあったと思う。
このPerformaはよく動いてくれた。今でもちゃんと起動します。
愛着を持ってパソコンを使っていたのはこのMacが最後なんじゃなかろうか。
次に僕が買ったのはPower Macintosh G3という機種だった。当時,迷走に迷走を重ねていたAppleはなぜかキヤノン販売と提携をしたりなんかしていて,キヤノン販売にいる知人を通して購入したのだ。この機種は1997年か1998年に買ったのだが確か本体だけで25万円くらいしたと思う。

Power Mac G3 DT233
こいつはわずか2年ほどでHDDがいっちゃいましてMacの雑誌に掲載されていた業者からHDDを購入して自分で交換を行いました。それ以外はおおむねよく働いてくれました。8年近く使用したのかな。
こいつもいまでもちゃんと起動します。
追放されていたスティーブ・ジョブズが会社に復帰し,iMacの大ヒットで一躍Appleは有名になったわけだが,その後僕も遅ればせながら2004年にiMac G5という機種を購入した。ここで初めてMac OS Xというものに触れることになります。別にPower Mac G3を使い続けてもよかったんだけど時代はもう完全にMac OS Xへと移っていたのだ。
OS9からOS Xへの移行はずいぶんと大変だった。熱心なMacマニアがネット上でAppleを批判したりとかなりオールドファンの不満は大きかったと記憶している。

そして2007年12月。iMac G5がいっちゃいまして(ロジックボード不良)・・いまのiMac(MA476J/A)を購入したと・・そして先日そのiMacが死亡したと,こういうわけです。まあこの6年間まったくのノートラブルだったのですが突然イッちゃったのでショックも大きいです。

廃棄処分を待つだけのiMac
しばらく(もしかしたら一生かもしれない・・)Macのない生活を送ることになるでしょう。
今使ってるWindowsのノートPCが壊れたらMacBookの購入も検討しますがしばらくはマッキントッシュコンピュータ(村上春樹が小説の中で使っていた表現です)とはお別れです。
さようならマッキントッシュコンピュータ。
この記事へのコメント
nippar
あ、、、、もしかして、もしかしたら年末の挨拶にもいけないかも・・・。
なので、まだちょっと早いですが、、、
今年もいろいろと笑わせてもらったり、考えさせられたりとお世話になりました♪
来年もよろしくお願いします~。^^
poptrip
どうぞお構いなく。
近親者のみでとりおこないましたので(ってオレだけなんだけどw)
僕も自分のブログ見ていろいろ考えましたね~ww
こちらこそ
来年もよろしくお願いします。
Herr Katze
やっぱこう、Macを作ったころ、作られた頃
先進的だったなぁ、と
Windowsもやってましたが
OSになんだかんだコ難しいドライバを組み込んで
NetBiosがどうのこうのおまじないを唱えないと
ネット接続もできんWindowsに比べてサクっと
ネットワーク接続のできるMacの素晴らしかったこと
Windowsは完全にMacのマネっこですから
そりゃJobsが電話壊すくらい激怒すんのもわかるわと
先進的でしたね
しかしながら
いいものが売れるとは限らない(ああ、β・・・)
わたしゃいち早く右クリックの便利なWindowsに
流れてしまったわけですが
そしてマカーと呼ばれるマッキントッシュ信者の
うざかったこと
まさに信者
ああ、いろんなことを思い出してしまったことよ
合掌させていただきます
poptrip
ホントに当時のマカーとドザの関係と言ったら(笑)
僕からしたらドザってほんとにうざかったですよ(爆)
どんだけMacをバカにすれば
気が済むんだっていうくらい・・
自作PCを作ってマザーボードがなんちゃらとか
わけのわからんことばっかり喋ってMacは爆弾マークが
しょっちゅうでて最低だとか(←なんで爆弾マーク知ってんだよw)
ああ思いだしただけでも腹が立ってきた(ウソw)
当時はドザが大っ嫌いでした。ハハハ。
僕の周りにたまたまそういう人が数人いただけかもしれませんが。
僕もいろんなことを思いだしちゃったよ。
そんなドザたちもいまやブツブツ文句を言いながら
iPhoneやiPadやiPodを使っているという・・・