西山公園 紅葉みごろです

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西山動物園に行ったついでに紅葉狩り。
ヒヨドリさんも紅葉鑑賞中。

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レッサーパンダを堪能した後,ウォーキング&紅葉鑑賞。

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鯖江藩第7代藩主間部詮勝(まなべあきかつ)像です。

安政3年(1856年),鯖江藩第7代藩主間部詮勝は,当時御達山(おたてやま)と呼ばれていた丘陵(現在の西山公園一帯)に雅趣を加えて,領民の憩いの場となるように庭園を造成し「嚮陽渓」と命名した。
当時,諸大名が万金を投じて意匠を凝らした大規模な庭園を作る中で,領民とともに楽しみたいと自ら陣頭に立ち庭園を築いたものであり,このような事例は嚮陽渓のほか水戸偕楽園を除いて他にない。
なお,間部詮勝は文化元年(1804年)2月,鯖江で生まれ,11歳で第7代藩主に就任した。文久2年(1862年)まで在位し,この間,大阪城代,京都所司代,老中を勤めるなど,天保期(1830~1843)には幕府から下賜された築城費五千両を困窮する村々に貸与し,名君と謳われた。


この方,安政の大獄を推し進めた方なんですよね・・・
まあ井伊直弼とは対立しており,志士たちには理解を示していたという説もあるようですが。
橋本左内,梅田雲浜といった福井の俊才たちをおなじ福井の間部詮勝が死に追い込んだというのはどうにもいたたまれないですな。

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そうそう。カメラを持った方がたくさんいらっしゃいましたが,通路に三脚立てて紅葉を撮影するのはやめてほしいです・・・僕人がたくさんいるところで三脚を立てる人って信じられません。

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